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地域・施設ガイド

酒殿区の文化財

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大内盛見公(おおうち・もりはるこう)の墓のイメージ

大内盛見公(おおうち・もりはるこう)の墓

酒殿区の泉蔵寺裏側墓地群の一角に「大内盛見」(おおうち・もりはる)という武しょうのものと伝える墓が残されています。
中国地方の守護大名であった盛見は、応永10年(1403年)、朝廷より豊前の守護を命ぜられましたが、筑前国への進出もねらったので、九州の大友氏や菊地氏・少弐氏とはげしく対立するようになりました。
正長元年(1428年)に筑前国の守護になりましたが、永享3年(1431年)九州に下向した際、大友持直・少弐満貞との戦の最中、怡土郡深江村(現在の福岡県前原市深江)で戦死してしまいました。
家臣であった杉孫右衛門(すぎ・まごうえもん)は、盛見公の首を切って持ち帰り、酒殿に泉を見つけきれいに洗って、丁ちょうにほおむりました。その場所にほこらを建てたものが、その後の泉蔵寺のはじまりと伝えられています。

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百人塚(ひゃくにんづか)のイメージ

百人塚(ひゃくにんづか)

酒殿区の泉蔵寺入口付近に建立されています。

江戸時代享保17年(1732年)西日本一帯をおそった飢きんは、酒殿村でも多くの犠牲者を出し、197名のとうとい命が失われたと記録されています。
この碑は、享保の飢きんから7年後に酒殿村の若者たちが中心となって資金を集め、死者のめい福を祈って建立されたと伝えられています。

訪問には、泉蔵寺への事前予約を要します。

【近隣の史跡】三宮神社 等

 

【最寄駅】JR酒殿駅より約1.0km[徒歩約15分]
【バス停】西鉄宮崎バス停より約0.3km[徒歩約5分]

史跡からの最寄りの駅・バス停までの経路図(PDF形式:201KB)

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御酒殿(みきどの)のイメージ

御酒殿(みきどの)

酒殿区の三宮神社境内に所在しています。はっきりした時代はわかっていませんが、この御酒殿は、酒殿の地名由来に深く関係しています。
筑前国続風土記拾遺によると、「安楽寺目録によると、酒殿村は七宴席(しちえんせき)の供料所(くりょうしょ)である。七宴席とは年に7回行われる神事のことで、酒殿ではこの神事に用いる酒をじょう造して、天満宮に奉納した。神に捧げる酒(お神酒)を造る神聖な建物を「酒殿」という。村の名前もこの酒殿が次第に「さかど」と呼ばれるようになったのだろう」と記されています。

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疫神社(えきじんじゃ)のイメージ

疫神社(えきじんじゃ)

酒殿区の三宮神社拝殿右側に所在しています。この疫神社は、江戸時代享保年間に疫病(伝染病のこと)が流行して、多くの死者を出したため、病気退散を願って建てられたと伝えられています。
お祭りは5月8日に行われて、明治時代の終わりごろまでは他の地域の人々も大勢参ぱいし、屋台などが出てにぎわっていたようですが、人々の衛生状態もよくなり、伝染病も減ったので、疫神社が果たす役割も小さくなり、お祭りも行われなくなりました。

【近隣の史跡】泉蔵寺 等

 

【最寄駅】JR酒殿駅より約0.8km[徒歩約10分]
【バス停】西鉄酒殿バス停より約0.2km[徒歩約5分弱]
史跡からの最寄りの駅・バス停までの経路図(PDF形式:201KB)

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お問い合わせ

粕屋町立歴史資料館(粕屋フォーラム2階)
〒811-2314 福岡県糟屋郡粕屋町若宮1丁目1-1
電話:092-939-2984
FAX:092-938-0733
開庁時間:火曜日から日曜日の午前10時から午後5時まで(但し、祝日、休日の翌日、毎月最終木曜日、特別整理期間を除く)

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