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粕屋町

磐井葛子の墓伝説

更新日:2019年12月17日

磐井葛子の墓伝説イメージイラスト

北部九州に一大勢力を誇っていた豪族である筑紫国造磐井(ちくしのくにのみやつこ・いわい)は527年に大和王権に対して反乱を起こします。

翌528年に乱は鎮圧されますが、磐井の息子である葛子(くずこ)は糟屋屯倉(かすやのみやけ)を献上して死罪を免れたと日本書紀に記されています。

屯倉とは大和王権が直接支配した拠点的な場所のことで、主要な地域に設置されましたが、糟屋屯倉の所在地は分かっていません。

同じ時代に設置された那津官家(なのつのみやけ)は福岡市博多区比恵遺跡と考えられています。

比恵遺跡の近くにある東光寺剣塚古墳(とうこうじけんづかこふん)は那津官家を管理していた人物の墓とみられていて、当時の福岡平野では最大級規模の前方後円墳です。

この東光寺剣塚古墳と同時期・同規模の前方後円墳として原町区の鶴見塚古墳(つるみづかこふん)があります。

古墳の規模からみて、糟屋屯倉と何らかの関わりをもっていた人物が葬られているかもしれません。

このページに関する問い合わせ先

粕屋町立歴史資料館(粕屋フォーラム2階)
郵便番号:811-2314 福岡県糟屋郡粕屋町若宮1丁目1-1
電話番号:092-939-2984
ファクス番号:092-938-0733
開館時間:火曜日から日曜日の午前10時から午後5時まで(ただし、祝日、休日の翌日、毎月最終木曜日、特別整理期間を除く)

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