メニューにジャンプコンテンツにジャンプ
粕屋町

長者原伝説

更新日:2019年12月17日

縁切(えんきり)地蔵のイメージ

現在の粕屋町「長者原」の地名は、「長者屋敷」にその由来があると言い伝えられています。

その伝説は、長者の娘「於古能姫」(おこうのうひめ)と、福岡市早良区野芥の「縁切(えんきり)地蔵」にまつわるものです。

今から約1,200年前の奈良時代の終わり頃(770年から780年)大城出羽守国定(おおしろ・でわのかみ・くにさだ)という長者がおりました。

この国定と奥方のおせつとの間には、三国一と言われた評判の娘がおりました。

ある時、早良区の豪族、郷士土生伯耆守(ごうし・はぶ・ほうきのかみ)がこの付近に鷹狩りに来たとき、この娘のうわさを耳にしました。

これが縁となって自分の息子、土生修理太夫昭兼(しゅうりだゆう・あきかね)の嫁にと無理を通してもらいうけました。

豪族、大城家では、一人娘の嫁入りということで、七車分の嫁入り道具を乗せ、多数の人数を伴って、嫁ぎ先である野芥を目指しました。

一行がちょうど逢坂まで来たときです。

土生の家老が数人の共とやってきて、「今、土生家では、昭兼殿が急病で危篤となっている。結婚式どころではないから、相すまないが引き返してくれ」と頼みました。

花嫁姿の於古能姫は、「杯はせずとも夫婦にはかわりありません。どうぞ、危篤の夫に会わせてください。」と願い出ますが、聞き入れてもらえません。

いろいろと話をしているうちに、家老が自分の娘を土生家に嫁がせ、土生家を自分のものにしようとの悪巧みがあることがわかりました。

於古能姫は、もはやこれまでと、ふところの刀を抜いて自分の命を絶ってしまいました。

これを目の前で見ていた父の国定も三途の川をともに渡ろうと自決してしまいました。

出羽守国定と於古能姫はその地(野芥)にほうむられ、縁切り地蔵としてまつられています。

そして、この長者が住んでいたとされる場所には現在「馬頭観音堂」がまつられています。

  • 【最寄駅】JR長者原駅より約0.2キロメートル[徒歩約5分弱]
  • 【バス停】西鉄長者原バス停より約0.5キロメートル[徒歩約10分弱]
AdobeReaderのダウンロードページへのリンク.png

PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、左記の「Adobe Acrobat Reader」バナーをクリックして、ソフトウェアをダウンロードし、インストールしてください。

このページに関する問い合わせ先

粕屋町立歴史資料館(粕屋フォーラム2階)
郵便番号:811-2314 福岡県糟屋郡粕屋町若宮1丁目1-1
電話番号:092-939-2984
ファクス番号:092-938-0733
開館時間:火曜日から日曜日の午前10時から午後5時まで(ただし、祝日、休日の翌日、毎月最終木曜日、特別整理期間を除く)

このページに関するアンケート

このページは探しやすかったですか?
このページの情報は役に立ちましたか?
このページは分かりやすかったですか?
このページに対する意見等を聞かせください。